篠島の島民にとって、お正月と言えば1月の3日・4日に行われる、この正月祭礼のことを指します。「大名行列」とも呼ばれるこの祭礼は、しめやかさと賑やかさを併せ持つ篠島ならではのお祭り。その様子を撮影しに、島外から何十人というアマチュアカメラマンが島を訪れます。
お祭りの軸になるのは、八王子社に祀られている男性神「オジンジキサマ」が、神明神社に祀られている女性神の所へ「オワタリ」をして、神明神社で一夜を過ごし、また八王子社へと帰っていくまでの過程です。オジンジキサマが八王子社へ帰る道程では、島の男たちによって大名行列が作られ、オジンジキサマはその間を縫うように八王子社へと帰って行かれます。
正月の祭礼は1月3日から始まります。この日の昼頃、夏は海水浴場として賑わう前浜(ないば)に、様々な扮装をした男たちが集まり、二列の隊列を組みます。この隊列のことをその様子から「大名行列」と呼びます。島の男たちは隊列を組んだ状態で、旧年中から自主的な練習を繰り返してきた舞を舞います。隊列の先頭に立っているのは、その年に数えで42歳を迎える本厄の男たちです。近年は人数の減少から、41歳の前厄、43歳の後厄の男たちもここに加わっています。厄年の男たちのあとに続くのは、島の男子高校生たち。篠島では高校生になると、このお祭りのための舞を習うことが決められています。高校生のあとには、中学生・小学生の男子が続きます。彼らの役割はかけ声をかけて行列を盛り上げることです。
大名行列の奴踊りは昼頃から15時頃まで続きます。15時頃になると、大名行列を形作っていた男たちは、その後の「オワタリ」と翌日の祭礼に備え早々に家へと引き上げていきます。
そして18時になるといよいよオジンジキサマのオワタリが始まるのですが、オワタリの様子を見ることは固く禁じられています。これは島民だけでなく観光客であっても同じこと。オワタリが終わるまでの15~20分ほどは、宿から決して外に出ないように、宿の主からきつく指示されます。
オワタリが始まると島中の電気がふっと消えます。地元の電力会社に依頼し通電を一時的に遮断するのです。家のテレビや、ホテルや旅館の灯りはもちろん、町並みを照す街灯さえも、オワタリの間は完全にその明るさを失い、島を照すのは星々の明かりだけになります。
この間に八王子社に祀られているオジンジキサマは「庁屋の人」と呼ばれる神職の人々によって神明神社へと運ばれていきます。庁屋の人はオジンジキサマを目にし、また直接ご神体に触れるために、事前に寒中の海でその身を清めています。オワタリは神事であり、またその様子を目にすると祟りがあると伝えられていることから、島民…特にオワタリの出発地である八王子社のそばに住む人々は、神殿の扉が開く音を聞かないように幼い子どもを島外の親類の家へと預けたりすることもあるそうです。
八王子社をあとにしたオジンジキサマは日中、大名行列で賑わっていた前浜を通り、神明神社へと向かいます。そしてオジンジキサマの到着にあわせて神明神社では太鼓が打ち鳴らされます。島の人々はこの太鼓の音を合図に我先にと、神明神社へと参拝へ向かうのです。この時に島民が先を競うのは、参拝が早ければ早いほど御利益があると伝えられているからです。
島の人たちが詣でるのは神所に収められたオジンジキサマです。島の人たちはここで初めてオジンジキサマの姿を確認することになります。オジンジキサマは全体が神垂(シデ)と呼ばれる紙に覆われた直径1メートルほどの大きな塊。神垂に覆われたそのご神体は獅子頭だと言われています。
一夜明けた1月4日は、朝7時頃から厄年の男たちが神様が不在の八王子社へ集まり御棚木様(オタナギサマ)の準備をします。御棚木様とは、高さ4メートルあまりのモチノキを3本並べ、グミ1本、ヒサカキ2本をその中へ紛れ込ませたもの。後ほど男たちの厄をオタナギサマに移し、海へと流してしまうのです。厄年の男達はオタナギサマを前浜の決められた場所へと立てておきます。
昼が近づくと前日と同じように、様々な扮装をした男達が大名行列を形作ります。大名行列の男たちにとってはこの日こそが祭りの本番。前日よりいっそう凝った衣装やメイクで浜に並びます。行列の先頭に並ぶ厄年の男たちは、舞を舞い、声を上げ、酒を飲み、互いに砂を掛け合います。海から吹く風の冷たい冬の砂浜で、こうして士気を高め、オジンジキサマの到着を待つのです。
13時頃になると神明神社から紋付き袴姿の氏子、庁屋の人たちと共にオジンジキサマがゆっくりとその姿をあらわします。大名行列の男たちは頭を下げ、膝をついてオジンジキサマをお迎えします。オジンジキサマは、庁屋の人のひとりが花笠のように頭上に載せ、両端にお傍役と呼ばれる庁屋の人が付いてオジンジキサマを支えながらゆっくり進んでいきます。紙垂で覆われたオジンジキサマからは細長い布が伸びており、後ろを進む「後の舞」と呼ばれる庁屋の人に繋がっています。
途中、オジンジキサマは浜の決められた場所で舞を舞います。60キロほどもあるというオジンジキサマ本体を頭上高く掲げ、太鼓に合わせて左から5回力強く振り回すのです。「後の舞」はそれに調子をあわせて一緒に飛び跳ねます。この時オジンジキサマに付いている紙垂が円を描き、その姿は神々しさに溢れています。
舞を終えたオジンジキサマは厄年の男たちが立てたオタナギサマの所へと歩みを進め、ここでも同様の舞を舞います。舞を終えたオジンジキサマはお腰掛けの上へ安置され、宮司がオタナギサマの前で祝詞を上げ、新餅(ニイモチ)を、日の出の方・八王子社の方・北の方へ投げます。これを受け取った者はまわりの人へも少しずつ新餅をちぎって与え、御利益を分け合います。
氏子総代が「コリヨー」と声をかけると、それまで近くの焚き火で暖をとっていた厄年の男たちは下帯姿となり、オタナギサマにとびかかります。倒れたオタナギサマをそのまま3度引き回してから海へ流すのです。この行為により厄が離れて行くと考えられているので、厄年の男はこの時に必ずオタナギサマに触れなければならないと言われています。
オタナギサマが海へと流れると、オジンジキサマは八王子社へ向かいます。社の前で最後にひと舞いするとオジンジキサマは本殿に納められます。この時も島の人々は先を争って参拝をします。一連の祭事が終わると庁屋の人たちは再び神明神社へと戻り、それを合図に島の人たちも各々の家へと帰り、15時になるころには浜からは誰もいなくなってしまいます。
全国的にも珍しい篠島の正月祭礼。この祭礼について島の人たちはどのような思いを抱いているのだろうか。このお祭りの調整役でもある神明神社を管理する利根さんと区長の石橋さんにお話をうかがった。
庁屋の人たちの体を清めさせる、食事をさせる、白装束などを用意するのが私の仕事です。この役目を60年以上も務めさせてもらっているので、お祭りのことはなんでもわかりますよ。歳を取ってしまって昔のように上手くはできないけど、なんとか頑張ってやっています。
昔は、お祭りを観に来たお客さんをとても厳しく監視していました。特にカメラを構えている人。彼らが少しでも大名行列のコースに入るようなことがあれば、若い衆がカメラをたたき壊していましたからね。今はさすがにそれほど厳しいことはありませんが、大名行列のコースには立ち入らないようにお願いをしています。
このお祭りのことを少しでも多くの人に知ってもらいたいと思っています。それで、このお祭りがこれからもずっと続けていけるようにお手伝いをするだけです。今は、娘に最低限の神職の資格を取らせて、祭りの手伝いをさせていてます。篠島にとって正月とお祭りは同じこと。これからも大切にしていきたいですね。
正月の祭礼そのものはこれからもずっと続いていくだろうが、お祭りで大切な役割を担う42歳の厄災の人たちが少子化で段々と少なくなっていますね。これからはどうやってお祭りを続けていくのか、ということをしっかりと考えて行かなくてはならない。ただ「お祭りをやめにしよう」という考えは私たちにはまったくありません。「やるか、やらないか」ではなく「どうやって続けていくのか」ばかりを考えています。ひとつの行事を何百年も続けていくにはそういう感覚でいないと務まらないのですよ。やり方が世代によって変わってしまってもいいと思う。大切なのは祭りに込められた思いや、根幹の部分を守っていくことだと思います。
項目 | 内容 |
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実施日 | 毎年1月3日・4日 |
観光の見所 | 大名行列と奴踊り、3日に島の灯りが落ちて真っ暗になる所 |
注意事項 | オワタリの最中は室内でじっとしていてください 大名行列の撮影はコースに入らない位置からお願いします |